2012年の夏、奴田原文雄はモータースポーツ史に残る輝かしい金字塔を打ち立てた。
アメリカで最も古いモータースポーツイベントのひとつである、PPIHC(パイクスピークインターナショナルヒルクライム)。コロラド州にあるパイクスピーク山の観光道路、全長およそ20kmの道のりを一気に駆け上がる速さを競い合う、世界的にも知名度の高いヒルクライムイベントだ。
「雲に向かうレース」とも呼ばれ、ゴールとなる頂上の標高は4,301mと富士山よりも高い。そこへ至るまでには大小あわせて156のコーナーが待ち受け、ガードレールの無いスリリングでチャレンジングな箇所も多い。
この伝統ある一戦に、奴田原はEV(電気自動車)レーシングプロトで参戦。マシンを造り上げたのはF1も手がけたTMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)。EVクラス(Electric
Division)には日本人選手の参加が多かったこともあり、経済新聞などでも採り上げられて大いに注目を集めた。
そんな中で奴田原は、見事にEVのコースレコードとなる10分15秒380をマークして優勝を飾った。この吉報は日本でも新聞などを通じて伝えられ、EVによる次世代モータースポーツの大きな第一歩ともなった。
また、全日本ラリー選手権は前年に続いてランサー・エボリューション]でフル参戦。グラベルとターマックでそれぞれ優勝を飾って王座争いを最終戦まで持ち越したが、惜しくも王座奪還にはあと一歩届かずシリーズ2位となった。
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